865年頃、アブド・アッラフマーン2世の息子ムハンマド1世は、かつてMatrice(「母なる」)と呼ばれたMagerit村を要塞化するように命じました。Matriceという名前は、この地の水、セゴビア通りを流れていた小川を指していました。
2世紀後の1083年、カスティーリャ王国のアルフォンソ6世(Alfonso VI)「勇敢王」が同地を奪回しますが、その後、長年にわたり、イスラム教徒、ユダヤ教徒 、キリスト教徒がこの町に共存することになります。アラブ語名とロマンス語名が融合し、「マドリード」という地名が定着する結果となりました。
プラサ・デル・ソルで食べる12粒のブドウ、マドリード風煮込み「コシード・マドリレーニョ」、フラメンコのタブラオ…。マドリード市民気分で楽しむ伝統。
ムスリム観光客のニーズに合わせたホテル、レストラン、その他のサービスがあるマドリードは、バカンスや出張に最適なハラル観光地。